HOME > BANDS > BANE

BANE

BANE
HOMETOWN :
Worcester,Massachusetts USA
MEMBER :
Aaron Bedard - vocals
Aaron Dalbec - guitar
Zach Jordan - guitar
Brendan "Stu" Maguire - bass
Bob Mahoney - drums
LINK :
Myspace

BIOGRAPHY

90年代中期にアメリカはマサチューセッツ州ボストン~ウースター周辺でその当時CONVERGEのギターとしてバンド活動をしていたAaron Dalbecと同じくCONVERGEのドラマーだったDamon Belloradoがサイド・プロジェクト・バンドとしてCONVERGEとは別のピュアでストレートなハードコア・パンクをプレイしようとして、Matthew Firestoneという人物にヴォーカルを頼んで結成されたのがGATEWAYというバンドだった。初めはそのバンド名で現CONVERGEのギターKurt Ballouにも手伝ってもらい数回のショウを行った後にMattew Firestoneは別のプロジェクトを始めようとしてバンドを抜ける事になる。

その頃、後のBANEのヴォーカルとなるAaron Bedardはそれより数年前から80年代後半から90年代頭というユースクルー・シーン最隆盛期に感化されてBACKBONEというハードコア・バンドでヴォーカルをしていたが90年初頭以降から、それまでシーンにいたバンドCHAIN OF STRENGTHやYOUTH OF TODAY、BURNやSUPERTOUCHまでもが消えていく中で興味も薄まっていきBACKBONEの活動はストップ。それでもTEXAS IS THE REASON, SENSE FIELD, QUICKSAND, INTO ANOTHERなどはには興味があり地元でインディー・ロック・バンドOVER UNDERを結成してドラムをプレイ。それからハードコアよりインディー・ロックに傾倒していた数年間だが、ハードコア・シーンはNEW AGE RecordsやVICTORY Recordsのバンド達がまさに台頭して来た時期でもあった。レコード・ストアでSTRIFEのファースト・アルバム「One Truth」のポスターをふと発見し、そこで見た手の甲のXやフィンガーポイントのライブ・フォトに感化され再度ハードコア・シーンに興味を持ち始める。3年振りに足を運んだというストレートなハードコア・ショウはボストンでのSTRIFE, EARTH CRISIS, THREADBEAR等が出演していたライブだそう。そこでシングアロングやステージダイブをする事で再びハードコアに目覚めていった。
OVER UNDER時も何度かBACKBONEのリユニオンを期待していた声はあったが、ここで再びハードコアに回帰したAaron Bedardは1回だけのリユニオン・ショウをやる事を決め、それを行った後その場の誰しもがヴォーカルAaron Bedardのパフォーマンスの独創性に付いての話題で持ち切りだったという。20代半ばにさしかかっていたAaron Bedardは、もう悩んでいる時間も無い自覚もあり今一度ハードコア・バンドをやろうと決意した。

その流れもあり95年の秋にはヴォーカルを探していたAaron Dalbecは共通の友人を通してAaron Bedardに対し新たなストレイト・エッジ・バンドのヴォーカルをやってくれないかと依頼する。曲を聴いたAaron Bedardはすぐに加入を決め歌詞を書き始めた。それからBANEにバンド名を改名し、それから友達のベースのPete Chiltonを誘い、その紹介で当時BARRITをやっていたギターのZachary Jordanを誘い12月にはスタジオ入りして5曲のデモをレコーディングしてリリースする。翌年96年の5月に当時はボストンにあったSALAD DAYS STUDIOでBATTERYのヴォーカル, ASHES, MILTOWNのギターでもあったBrian Mcternanのエンジニアのもとファースト7″EP「XXX」のレコーディングをする。、ファーストEPはAaron DalbecのスタートさせたレーベルLIFE Recordsからリリースされた。バンドは更に97年の春に「Free To Think, Free To Be」7″EPを前作同様Brian Mcternanの元で製作し、同じくLIFE Recordsよりリリース。それまでのメンバーのバックグランドとBANEという新しいハードコア・バンドへのモチベーションが合わさり完成された現在もライブで頻繁にプレイされる珠玉の楽曲を引っさげ沢山のショウをマサチューセッツ州内中心に行っていった。地元やそれ以外からも噂を聞き付けたキッズ達からは軒並み良いリアクションを受け勢いに乗って行き、その2つの7″EPは何度も再プレスされていく中で幾つかのレーベルの目に留まる事となった。

98年にはCONVERGE同様にEQUAL VISION Recordsと契約し、そこでそれまでのドラマーDamon BelloradoはCONVERGEに集中する為に抜けて、新たにTEN YARD FIGHTのBen Chusedが加入し、Brian Mcternanの元でレコーディング。それでリリースされたのが「Holding This Moment」7′EP。すぐに既出の2枚の7″EPの楽曲を入れ込んだCDヴァージョンでもリリース。しかし、ツアーは出来なかったBen Chusedの代わりに、幸運にもCLOSE CALLというバンドでプレイしていたNick Braniganを何とか加入させ、それから同年夏にファーストUSツアーをニュージャージーのSAVES THE DAYと行う。ツアーも成功させ、アルバムへの準備を行っていく。

暫くの間、型破りなレコードを製作しようと研ぎすませながら楽曲製作作業を進めていった。99年の6月-7月にTODAY IS THE DAYのSteve AustinのスタジオAustin Enterorisesにてファースト・アルバム「It All Comes Down To This」をレコーディングし、夏にリリース。このアルバムはハードコア・シーンでの結束と失う事に付いて言及した内容となった。その内容と合わせるには過激とも取れるアートワークにAaron Bedardは嫌悪感を抱いている。レコード・リリース・ショウでは共演バンドにRIGHT BRIGADE, DILLINGER ESCAPE PLAN, BOY SETS FIRE, CONVERGEといったそうそうたる面子で行う。このファースト・アルバム辺りから「ハードコア・ヒーロー」という呼び名で表現される事も出て来る位の規模になっていく。

バンド名をアメリカ全土に轟かせる中、00年夏にカリフォルニアのAdamantiumとのスプリットをリリースする為にCONVERGEのKurt Ballouと協力してレコーディングを行う。同年冬の間には4回ものUSツアーを行い、6週間のヘッドライン・ツアーをヨーロッパで行う。そうしている間に01年2月に前述のスプリットがINDECISION Recordsよりリリース。夏にはセカンド・アルバム「Give Blood」の楽曲製作を終え、メリーランド州ベルツヴィルへ以前はボストンにあったBrian McternanのSALAD DAYS STUDIOへ向かいレコーディングを行った。結果、それまでの作品の中で最も強力かつ自由なライブ感のあるBANEらしいサウンドを表現する事が出来た。

01年の秋に「Give Blood」はリリースされ、同時にAGNOSTIC FRONTとのツアーを決め、それからの数年はDASHBOARD CONFESSIONALやTHURSDAY、はたまたSHADOWS FALL, GOOD RIDDANCE, HATEBREEDなど様々なバンドとステージを共にする。BANEヘッドラインのフルUSツアーも勿論行っていく。ハードコア自体も世界規模でシーンが拡大する中でどんどん活動が激化する中で結婚をするメンバーも出て来る。そんな中、03年にドラマーのNick Braniganが自身の興味のあるものを追求する為にバンドを離れ、代わりに元REACH THE SKYのBob Mahoneyを加入させる。5週間のフルUSツアーをTHE PROMISEと行い、04年の4月にはベースのPete Chilton, ギターのZachary Jordanのいる別バンドSILENT DRIVEと共に初来日ツアーを行った。夏にはFC FIVEのUS東海岸ツアーを見事にサポート。この年で最後となった当時最も大きかったハードコア・フェスティバルで今は無きHELLFESTにも通年して出演。それからもバンドはツアーとソング・ライティングを続けていった。

05年の1月には暫く振りとなるサード・アルバム「The Note」のレコーディングを再度Brian Mcternenと行い、世の中の様々な事柄に向き合った世界観を持ち前の成熟されたポジティブでパワフルな音楽に変え、更に趣き深い作品を完成させる。アルバム・リリースに合わせてフルUSツアー、その後もCOMEBACK KIDとFC FIVEと久々のヨーロッパ・ツアーを行う。06年2月にはSILENT DRIVEと共に再来日。着実に日本でも知名度を上げていった。年末にはバンド結成10周年を記念したショウを企画。OVERCAST, EVERGREEN TERRACE, OUTBREAK, FC FIVE, AMBITIONSとBANEらしいセレクトのブッキングで盛大に行われ、この時期限定で企画盤「Ten Yesars Plus E.P.」をリリース。

07年はドラムのBob Mahoneyの子育てもあり派手なツアー活動はあまりやらないも、以前のOUTBREAKのドラマーで、現在CRUEL HANDでギターをプレイするNate Manningをヘルプに向かえ的確に時期を見てアメリカ、ヨーロッパ等をツアーしていった。08年には頭に3度目の来日をSILENT DRIVEと共に行い、PUMP UP THE VOLUME FESTでプレイ。それから再度ツアー活動にも精を出し始め、オーストラリアや南米にも訪れる。この辺りでバンド創成期から長い間プレイしてきたベースのPete Chiltonが勇退し、新たにBrandan “Stu” Maguireが加入。

09年になり、世界のシーンを渡り歩きバンドも成熟感を帯び始めた頃になり、BANEは05年の「The Note」以降久々となるレコーディングをマサチューセッツのGETAWAY RECORDINGSにてHIPWRECK A.D., TITLE FIGHT, VERSEなどをレコーディングしているJay Maasの元でその時までに書き溜めていた曲で行う。それをそれまでの活動で築いて来た関係で世界のレーベルよりそれぞれの形でリリースする事を考える。更にそのそれぞれの国で世界同日同時間にその都市の風景を撮影し、それをアートワークにするという斬新なアイデアも合わさり、「Dublin 11:58am」、「Boston 6:58pm」、「Rome 12:58am」、「Los Angels 3:58pm」、「Perth 7:58」そして「Tokyo 7:58am」としてリリース。その1つ1つが特別なモノとなった。

RELEASE

BANE / Tokyo 7:58am